海外ランドスケープレポート
同済大学建築学科
(中国上海)
狩谷龍俊くんの留学レポートU〜中国庭園の魅力〜
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今回の調査へ行くきっかけは、私の担当教授である路教授を通じ、「常熟古建園林建設集団有限公司」を紹介していただき、施工中の私邸庭園があるということで調査を行うことにしました。私邸庭園の施工現場に入れるということはめったにない機会なのでとても楽しみです。

この報告書ではその常熟の施工現場をメインにいくつかの中国庭園を紹介していきたいと思います。調査日数は、10月22日〜10月28日の6日間と短かったですが、得たものは多く、あらためて中国庭園の魅力を感じた調査になりました。

上海からバスで3時間の常州と、そこからまたバスで上海の方向に戻るようなかたちで1時間の常熟という二ヵ所を回り、園林調査を行ってきました。特に二ヵ所目に訪れた常熟にある趙・曾園は、中国庭園の施工を行っている最中とのことで、ここをメインに調査を行ってきました。施工現場といっても、園内の大部分はほぼ完成しており、細かな塗装や、建築の修復などを行っていました。

現地(中国)の人は、中国庭園(園林)について「一歩、進むごとに景が変わり、そのどの景もとてもすばらしい」といいます。また園内にある起承転結といったストーリーが中国庭園独自の雰囲気に人々を包み魅了させます。

さらに園内には遊園者の視覚や触覚などを操作する装置がいくつも隠されており、人々は無意識的にそれら装置にコントロールされ、園内の美しい風景をより美しく見せられているのです。中国庭園を何度も回ってみると、園内の景観をなるべく引き立てるというその努力が強く感じられます。
以前にも記しましたが、中国では建築と庭園がセット扱いされています。即ち、庭園の景観は建築的要素である(建物もそうなのですが)橋、窗、門といった各装置によってその魅力をさらに高められています。では、実際に簡単な例をいくつかあげ、写真で説明してみましょう。

例一:曲橋(常熟趙園)
 中国庭園で良く見られるこの「曲橋」。橋の曲がりと同時に体も、そして視線も橋の曲がりと同じ方向に向けられます。例えば写真中央の曲がりまで行くと体は右を向き、視線も自然とそちら側に向けられます。写真2は実際曲がった時に見えた景です。この橋は片方、写真1で見ると橋の右側になりますが、腰掛がついていません。このような例はまれですが、これが幸いし結果とし左に仮想壁を現象させ、さらに右の景を意識させることになっています。


写真1: 写真2:


例二:洞門(常熟趙園)
これもよく中国庭園で見られる門です。写真3〜4までは門に徐々に近づく画像で、写真5は、洞門を抜けたときです。これは視界の広がりを塞ぎ、洞門を通過すると同時に、その広がりを一気に放出させるという効果があります。これよりもさらに視覚をギリギリまで塞ぎ放出させるという形が写真6で見られる長方形の洞門です。写真7はこの門を通り過ぎたところ画像です(処理がうまくいかず、やや不自然ですみません)。


写真3: 写真4:
写真5: 写真6:
写真7:


例三:假山(常熟燕園)
 中国庭園で一番の観賞の魅力といえばこれではないでしょうか。因みにこの「假」とは日本語で「偽物」の意味です。この假山にもいくつかの視覚的な、そして人に精神的な影響を与えます。
假山の中(洞窟内)では、暗く光もかすかにしか入ってこない、さらに足音が響くということなどから人の感覚を一瞬にして鋭くさせる効果を持っています。その分この洞窟を抜けた瞬間は明るさ、視界の広がり、音(木の葉が揺れる音や鳥の鳴き声)に対し、非常に敏感になり、あらためて庭園の自然的要素を感覚とし捉えることができます。
 また迷路のようになっているこの假山は、その形から高低差や幅などが変化し、また足元も平らではないので危険性が伴っています。写真8の假山は良い例だと思い取り上げました。
 順路で言うと写真9の右から假山に入り、左の橋から假山を抜けるようになっています。この假山の入り口から出口までの空間は、危険性を伴うということからも遊園者に不快感を与えます。しかし、抜けた時にその不快感から急に開放されるわけであるが、つまり写真10の假山より安全性のある平ら橋を設けそこを通すことで人々に安心感を与えています。
 そしてさらにその橋を渡りきると、写真11のような舗地空間または建築内へというようにさらに安全性高い空間へと遊園者を導きます。即ちこの假山は、危険性→安全性というその違いをさらに高める空間になっており、非日常的な感覚を与えてくれます。このような感覚を味わうことができるというのも中国庭園の大きな魅力ではないでしょうか?


写真8: 写真9:
写真10: 写真11:


中国庭園は建物の前などにはやや広い空間を持っていますが、園内では以外に自由なサーキュレーションを持っていると見せかけ、実際に園内を回ると非常にそれが限られていることに気づきます。まるで「ここではこの動線に従い歩いてください、ここではこの風景を観賞してください」と言われているかのような印象を強く受けます。

今回の調査では、庭園と建築の関係を印象だけでなく実測を行いその比率を、また特に建築側の空間処理について調べてきました。調査した結果はこれからまとめ、また機会がありましたら、報告したいと思っています。

私が中国園林に魅力を感じる理由は、「建築」と「庭園」の関係にあります。確かに建築を学びはじめた当時は、半分いやいや勉強していた頃もありました。しかし建築を知れば知るほど、中国園林というものも理解でき、またその魅力は、可能性へとつながっているような気がしてなりません。それは自分に自信がついたという意味ではなく、人と自然環境とを結びつけるあらたな空間のヒントが見出せそうだという意味です。

私は中国園林というその空間で、人々が空間に対する精神を実際に体験し調査してきました。「人と自然環境のあらたな空間」その答えが徐々にですが近づいているような気がしています。そしてその可能性の応えに向け、今後も調査を続けたいと思っています。


簡単に紹介してきましたが、ここからは調査で取った写真を何枚か載せ、常熟と常州の紹介(非常に簡単ですが・・・)をしたいと思います。



(写真12−常熟趙園)假山の施工現場。竹の張力を利用し、石を固定している。




(写真13−常熟趙園)園路から奥の「山満楼」(建築の名称)を望む。




(写真14−常熟趙園)奥へ奥へと視覚を運び、次景に期待感を持たせてくれる洞門。




(写真15−常熟趙園)塗装人。




(写真16−常熟趙園)木製の手すりや、窓枠にヤスリをかけてる風景。
これを終えるといよいよ塗装にかかる。




(写真17−常熟趙園)石積み職人。




(写真18−常熟趙園)三人がかりで敷石を据えている風景。




(写真19−常熟趙園)假山のデッサン。




(写真20−常熟趙園)デッサンから実際にできたもの。




(写真21−常熟興福寺)お寺の風景。
左の建築内にいる人は散髪している。




(写真22−常熟興福寺)お寺の門。
この2本のシダレエンジュが中国のお寺の雰囲気を醸し出している。




(写真23−常熟)常熟の図書館。
北京精華大学の教授によるデザインとか。




(写真24−常熟)常熟の図書館内。




(写真25−常熟)常熟の民家。
朝の7時半、朝ご飯の肉まんを食べながらの撮影。




(写真26−常熟)常熟の民家。
午前11時。勝手に撮ってごめんなさい。




(写真27−常州)中心街の風景。
左看板の「酒?」とは、「酒場」の意味。




(写真28−常州)常州街並み 常州の中心街で取った教会。
写真には写ってはないが、左側には「博多ラーメン」のお店があり、「美味しいよ!」と書いてあったので入ってみたが、お湯の中に面を入れたような味の激薄味ラーメン。




(写真29−常州)奥に聳える150メートルの塔は、私の担当教授である路教授の設計。




(写真30−常州)宿泊したホテルの裏の公園。釣りをする現地の人。




(写真31−常州)ホテル裏の公園。




(写真32−常州)ホテル裏の公園。メタセコイアの並木。




(写真33−常州)中心街はずれの果物屋さん。




(写真34−常州)中心街裏の民家。


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